株式会社 象 地域設計
しょう
一級建築士事務所
象の歴史
象地域設計の歴史
Sho-History
■おいたち
1975年、象地域設計(以後 「象」)は東京都葛飾区堀切にて産声を上げました。当時のメンバーは2人でしたが 、その後1年も経たずして、新建築家技術者集団(以後 「新建 」)の仲間であった女性2人が参加しました。
創立メンバー4人はそれぞれ、墨田 、葛飾 、足立区の生まれで、下町の抱える住まいやまちの問題に、設計者として力を発揮したいという思いを持って、積極的 な活動を展開します 。
当時の下町では 、住まいをつくるとなると大工さんや工務店にお願いするのが一般的で、設計者にお願いするというのはまだまだ稀でしたが、それでも、所員の身近な繋がりを中心に戸建て住宅の設計活動に取り組んでいきました。その様な中、自らが生活する地域 で知り合った方々の住まいづくりをお手伝いするなど、徐々に地域との繋がりが出来、地域に根ざすには、自らも生活者として地域に入り込むことの重要性を見いだしていきました。
また 、暮らしから住まいを考える設計行為を通じ、戸建て住宅だけでは応えられない様々な生活要求があること、それらを解決するには複数で考えていくことの重要性を実践していきます。
■なぜ下町に根ざしたか
私たち「象地域設計」は、新建運動の中で設立されたと自覚している集団です 。当然のことながら、新建運動の実践の場として事務所のあり方を考えてきました。東京の墨東地域とは、区部でいうと、足立 ・葛飾 ・墨田 ・江東 ・江戸川 、それに荒川を加えた六区の総称です。これらの区は、道路や下水道等の都市基盤の整備が遅れており商、工、住の混在した準工業地域の比卒が高く、狭小宅地、狭あい道路が多いのも特徴です。
まちの人々の意識の中には、建築設計者の実像はまったくなく、地域の住宅や、生産施設の多くは 、工務店とその代願設計事務所にゆだねられているということが実態です。
私たちがこうした地域で、建築活動をしていこうとした理由は、次の二つに整理されると思います。
その第一は、こうした下町の地域でより良いくらしを求める多くの人々に役立つ技術者になりたいと考えたこと。また、私たちの技術も、人々のくらしから出発 したものに再構築したいと考えたことにあります。
第二は、その活動を通じて、地域の人々に守り、育てられるような「住まい手、使い手の立場に立つ専門家 」として職能を確立していきたいと考えたことです。
(1993年9月初版 泥まみれ奮戦記 より )
■複数の設計者の英知を集める住まいづくり・集団設計
住まいに関する要求に対して、住み手の立場で、より良い解決策を共に見出していくために、私たちは、「 集団設計」を実践しています。ともすれば陥りがちな技術者の個人的な思い込みが、住み手をないがしろにしないように、生活者の望み、悩み、課題の抽出 から、解決方策についても集団的に検討を加え設計をすすめていきます。こうしたやり方の中で、個性を刺激し合って、互いの力量を伸ばしていきますが、これは上意下達式の「組織設計」とは異なります。生活やくらし、そのものを重視する住まいづくりでは、従来のハードな技術と同時に、融資 、税務 、相続等周辺の建物を建てる前の課題への対応が必要とされます。こうした面でも、従来の建築設計者の枠を超えた力が求められます。
集団設計とは、年齢や技術経験の違いをのりこえて、自由にものが言えること、設計する対象や課題について共通の認識をもつことの二つが、とりわけ大切な要素になります。これを保障する職場の環境づくりや、仕事のすすめ方への配慮が必要となってきます。例えば私たちの仕事場では、中央に大きなミーティングテーブルがあり 、ここで議論されることは、仕事中のだれもが聞こえるようになっています。また、日常的に他のメンバーの仕事に関心をもつよう心がけることや、他のメンバーのやっていることに自由に意見を出すことも重視しています。対象や課題について共通の認識をもつことは、集団の英知を集めるという場合には特に大切なことです。ひとりよがりや、独善的な解決策を防止するということからも重要です 。
戸建て住宅の設計の場合には、原則としてふたり以上のスタッフで、建主との打ち合わせをおこなうようにしています。打ち合わせの内容や、仕事上おきた事柄等の情報の交流は、毎週一回おこなわれる設計室会議での発表や、業務の合間での 、ミーティングで数多くおこなうよう心がけています。こうして他のメンバーの業務 も日常的に理解できるように努めていますので、課題によっては時問を区切って全員で作業 することもよくおこなわれます。
(1993年9月初版 泥まみれ奮戦記 より )
「住宅設計を進めるにあたって~所内討論のメモ~」
■コーポラティブハウスづくりの原点~共に住まうメリットを生かす ~
事務所ができて間もない頃でした。所員 の知り合いのSさんから相談ありました。Sさんはかなり老朽化したアパートに住んでいました。大家さんも取り壊しを希望していたため転居を考え、地元での居場所を色々と探しましたがなかなか思うところが見つかりません。ようやく、近くに借地できるところが見つかりましたが、土地の大きさから経済的に自分だけでは無理がありました。そこで、友人のKさんに声を掛け、二人で共同住宅を建てようということになりました。
「地域の住宅事情の解決方策として 」
1980年代 、東京では庶民の生活圏の郊外化、地域コミュニティの崩壊など住まいに関する諸問題が生まれていました。地価上昇なども相まって 夢のマイホームは庶民にとってなかなか手の届かないものとなっていました。マイホームを手に入れるなら「土地付き一戸建てではなくマンションで」という時代でしたが、当時 のマンションは住戸面積が小さく決められた間取りに自分たちの生活をはめ込まなくてはいけない、音の苦情が絶えない、管理組合運営に参加しないといけないなど煩わしさが先行する住まいでした。
象ではSさん ・Kさん の設計活動を通じ、他人同士が共同で土地や建物を利用することで、合理的な利用ができ、かつ住まい手が設計段階から参加 することで豊かなコミュニティが育まれることを実感していました。
そんな折、この東京下町で気兼ねなく暮らせるマンションをつくろうという住まい手たちが集まりました 。象は設計者としてだけではなく、住まい手と一緒に土地探しから事業計画までに関わり 、夢の住まい実現に向け取り組む新しい専門家の役割を発揮することとなりました。
■コーポラティブハウス・人とのつながり
コーポラティブハウスには、人とのつながりを大切にしようという考え方が基本にあります。私たちの住む都市という 形そのものが、人間が集まって住んでいるところですが、それをより身近にした近所との関係は、とりわけ関心が高いところです。「 遠くの親戚よりも近くの他人 」という言葉があるように、私たちは、多くの他人の力に頼りながら、暮らしているというのが事実 でしよう 。近くの他人との関係がより良くあれば、それだけ暮らし良い環境が得られたということにもなります。これはとても大切なことに思えます。
今までつくられている集合住宅(団地 やマンション)は、そこに住むべき人が特定されずに建てられています 。むしろ 「近所づき合いのいらない」マンションといったようなことが、セールスポイントになっています 。ここでは「どうしたら他人に迷惑 をかけないか」といった視点で生活のルールがつくられていきます。例えば、「 ペットを飼うな 」「 夜の洗濯はやめること」「 ピアノは静かに弾くこと 」「 家の中をドタバタ歩くな(下の家にひびくから)」「風鈴はダメ 」といったことはどこの集合住宅 でもいわれています。他人に迷惑 をかけないということはあたり前のことですが、しかし 、あまりにも生活の規制が非人間的です。人間があたり前にくらすことができないということは大きな問題です。
なぜ 、こういうことが起きるのかというと 、二つのことが原因だと思います 。一つは安易な集合住宅づくりのため、そもそも気を使い合わなければならないようにつくられているということ、もう一つは、知らない他人同士が住み合うため、余計なトラブルが多いということだと思います 。熊さん、八っつあんの長屋の隣同士は、最初は知らない他人であっても、三日もすれば知っている他人になれました。現在の集合住宅は仲々それがうまくいきません。いつまでたっても「知らない他人 」の関係が続く例が多いようです。コーポラティブハウスは、最初からそれを解消してしまうところに大きな特徴があると思います 。共通の目標をもった 住まいづくりの中で、お互い家族同士が知り合いになれます。共同 して 住むために必要 な技術的な対策 は、最初から 立てられます。( 大切なところにはしっかりお金をかけることができます。) コーポラティブハウスは、つくり上げる過程と住み続ける過程の中での人との繋がりを大切にしていける条件を必然的に備えているといえます。隣近所と協力し合い、助け合い、気がねなく、快適 な生活環境を備えたコーポラティブハウスづくりを 、もっと 、もっと 広めていきたいと思います。
「賃貸型コーポラティブの誕生 」
絶望は希望のはじまりである。
地主と住み手は対話の世界をひらくことにより、夢のような出来事としての賃貸型コーポラティブ住宅を生成させた。それは 、住み手にとってのよりよい住まいと地主の利益が一致する 。
住まいづくりの可能性をひらいてみせてくれた。
「むずかしいやっかいなことをマスターしていくことは現代を生きるうえで大切なこと 」と地主は語る。
「1人でさばききれない難題 」は、状況のなかに 身を乗り出した地主 ・住み手・コーディネーターが、相互に結び合わされた関係の網の目をつむぎだすことにより解きほぐされていった。クラクラしてしまう程に複雑でわかりにくいしくみも、「 信頼関係」という「複雑さを縮減 」するメカニズムによりみんなの了解を得ていった。
疑ってかかることから始めるのが世間のならい 、人と人との信頼関係づくりから始めるのがコーポラティブ方式のよさ。「 住み続けられる 」ことは住み手には
メリットだけど 、大家にとってもメリットなのだ 。これがこの事業の最も肝要なところ 。
大家と店子の共生関係と相互敬愛。小さな混乱と大きな 信頼 ・小さな 不安 と大きな 安心 、これらが精妙にバランスしていく 状況づくりのなかで、絶望が希望 に変えられた。
建築雑誌 「at」1994年4月号より
延藤安弘先生からの 紹介記事
■まちづくりのフィールドへ
住まいの快適性をコミュニティという観点からも掘り下げたコープ 住宅という住まいづくりにチャレンジした象ですが、1988年、恒例の事務所新年会で、まちづくり研究所の黒崎羊二氏より埼玉県上尾市で取り組まれているまちづくりについて話がありました。「 建築技術者がまちの改善にも取り組んでほしい 」といった主旨でした。
象もコーポラティブハウスの実践を通じ、他人同士が共同 で住まいを考える 経験を積んできました。それに加え、まちづくりというテーマには 、住まいづくりから地域を考えてきた専門家として挑戦しないわけには行きません。
主として戸建て住宅の設計活動から始まった象ですが、その歴史は、文字通り「地域」「 設計 」に、まちづくりという大きな課題に立ち向かうことになりました。
三月中旬、黒崎さんから正式に上尾のまちづくりの取り組みが語られました。「 住み続けられるまちづくりをめざす」、「 借家人を追い出さない共同建て替え」、黒崎さんが語った大方針は、いずれも象のメンバーをやる気にさせるに十分でした 。
その頃、墨東地域でも 、公団亀有の建て替え問題や、駅前再開発での弱小権利者の問題等 がおきていました 。借地人 、借家人 、白己居住者、地区外地主といった複数の権利関係、お年寄りが多いといったこと 。みんなこの下町にあることばかりです。
(1993年9月初版 泥まみれ奮戦記 より )
「上尾のまちへ」
上尾市 の説明 の中で気になることがひとつありました。それは費用のことでした。住民の合意ができ 、事業の実施の目処がつくまでのコンサル費用がないということでした。「 初動資金がない 」これがこの事業の泣き所でした。事務所内で議論が続きました。「 何か月、何年かかるか分からない。もし合意ができなければそのリスクを全体で担えるか?」「 相当な労力 やらなければ実現 は不可能 。その間、象が対象としてきた東部地域での課題はどうする?」といった議論です 。
われわれは、ディベロッパーではありません。住民がほんとうに自分のためと思わない共同建て替えならいつでも中止しなければなりません。その間にどんなに過大な労力が費やされたとしてもです。所内全員 の真剣 な議論 が続きました。
事業の組み立てや合意がつくれるかどうか、とりあえず九月をめどにして、その間の六か月のリスクは全員で覚悟することにしました。それでもわが事務所がとりくむ価値と意義は十分にあると判断されました 。
(1993年9月初版 泥まみれ奮戦記 より )
■地域に根ざした建築活動の広がり
住まいの改善を原点にした設計活動は、コーポラティブハウスや共同建替えへの取り組みを通じ広がりを見せていましたが、象が目指す「地域に根ざした建築活動」は、暮らしを取り巻く社会環境の変化に伴い、様々な広がりを見せてきました。
住まいづくりでは、家族 の暮らしにあった豊かな住まいづくりを中心に、新築だけではなく、耐震補強や小さな改造にも積極的に取り組んでいます。
生活施設 づくりでは、グループホームやデイサービスセンターなどの介護施設づくり、子育て支援のベースとなる 保育園の園舎づくり 、地域の健康管理の拠点 となる医療施設づくり、障害者が積極的に社会活動を営める作業所づくりなど、より良い地域づくりを目指す法人の方々と協同で応えていく機会が増えてきました。
ストック社会が叫ばれる中、永く建物を使い続けるためのマンション大規模修繕の設計監理の仕事も大きなウェイトを占めてきています。
住民参加を基本とするまちづくりへのお手伝いも増えてきました。
ハードな建築空間づくりだけではなく、法務・税務など多分野の専門家の糊づけ役、管理組合や共同事業での合意形成コンサルタント、事業主体を支援し育むコーディネートなど 、建築空間を生み出す前に必要な職域へも関わる機会が増えてきました。
私たち象のメンバーは、1975年創立以来、住まいや暮らしの改善に主眼をおき 、地域の様々な建築要求に応えたいという姿勢で取り組んできました。ここ数年 は、不況や少子高齢化、環境問題など閉塞感のある社会情勢ですが 、これまで培ってきた「住まい手・使い手主体」「 地域に根ざす」という理念をもとに 、少しでも地域に役立つ設計事務所であり続けたいと思っています。